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死にたい、でも生きたい

僕はずっと考えていた
――生きることの意味、死ぬことの答え。

某ドラマで印象に残ってるナレーションより。
2003年4月9日 (水)  
昔、SFCの『RPGツクール2』というゲームで自分が作ったゲームを
なんとなく懐かしみながらプレイしてみました。
作った当時、ぼくはまだ中学生。
今となればストーリーなんかもうる覚えで、
なんかもう自分が作ったものじゃないって感じだったんですが、
随所に自分らしいところが出てました。
例えば暴力とかでリンクしてる嫌な人間関係があったり、
大人から子どもへの虐待、内面に潜む闇の部分の自分の描写…。
「どんなRPGやねん!?」
と思いますね。
何より驚いたのが
「ぼくってこんな時期からそんな闇なテーマを描こうとしてたんだ」
ってわかったこと。悩める中学生だったんですね(笑
いろんなことに悩んで悩んで、…それは今も変わってないか(苦笑

もう生きててもしょうがないんじゃないかな…ってこの頃はよく思う。
なんでここにいるんだろう。
なんのために? 誰のために?
考えれば考えるほど気分は最悪。

「人間とはどうして生きることに意味を求めようとするのか。
どうして生きているということ自体を素晴らしいと思えないのか」
そんな言葉を聞くと、そういう考え方もステキだと思ってしまう。
でも「生きている=素晴らしい」って決め付けてるところがダメかなぁ、やっぱり。
「生きている=素晴らしい」って思えない人にとっちゃ、
生きようが死のうが全然どうでもいいことだ…って結論に帰着しかねないし
(ぼくの心理のなかではね)。

「あなたが思っている以上に、あなたは周りから愛されている」
これはさっきとあるサイトで見つけた一文だけど、
これを読んですぐに「あ~、そんなもんなんだ~」なんて納得はできないよね…。
自分が愛されてるなんて、なかなか思えやんでしょ。
ぜったい「不要」って思われてるもん…。

「ぼくなんかいないほうがいいんだ…」
いっつもそればっか考えてるもんな。
何を根拠にかは一概には言えやんけど、なんか周りに敏感すぎなんだよな。
相手の表情、しぐさ、言葉、行動、態度、
そういうものからいつどんなときも周りの人の内面ばかり推測しようとしてしまって、
大概の場合、「自分は嫌われてる」って結論に陥ってしまう。
なんとイヤな悪癖なのだろうか。
周りなんか気にせず、もっと気ままにいられたらいいなーって。
思うね・・・。


2003年4月13日 (日)  
昨日は一日中寝てたから、昨夜は見事に寝れませんでした。
一応フトンに3時間くらいは入ってたけど一睡もできず。
頭の中はさまざまな思いが交錯しまくり。しんどい。
そして眠い。。。

ていうか、体調悪すぎ。主に心理面のね。
今日はちょっとマシやけど、いつまたヤバくなることやら…。
このへんで一発大惨事でも起きたら、間違いなく自殺やろなぁ。
それともそんな勇気もないんかな。ないやろな、この弱虫め。(自嘲)

でも「死」に憧れる気持ちはこのごろ案外高ぶっている。
ただ漠然と、最近は生きることに疲れた。
将来のことなんて考えてみてもぜんぜんつまらなそう。
今だってこんなにだるいのに、なんで生きてなきゃダメなのだろう。

「死」は救いなのかもしれない。
いろいろ考えてしまうの、すごくしんどいもんね。

北朝鮮のミサイルとかが日本に飛んできて、一瞬でみんな死ぬのはどうだろう。
悲しいことではあるが、もしかするといい感じの展開なのかも。
そんな危険な想像なんかもしてる日曜の昼下がり。
やっぱぼくって最悪や…。
まじでお医者さんとかに行ってみたい。薬欲しいのら。


2004/5/2(日)
自分はどうして生きているんだろう。
昔、よくそんなことを思った。
何の価値もない自分。
誰の役にも立てない自分。
消えてしまえばいいのに。
生まれてこなければ良かったのに。
いつもそう思ってた。

それは今も大して変わらない。
自分が必要な存在だとは思わないし、
こうやって自分に意味を求めていること自体、
すごく愚かに思えてきて、
「オマエ、何様?」って自分を愚弄したくなる。
そして残るのは虚しさだけ。
何も分からない、惨めで空虚な気持ちだけ・・・。

小さな優しさに心がスゴク温かくなる。
それは、ぼくがとうの昔に捨てたもの。
それが自分を守るためのただ一つの道だった。
誰かに何かを期待してもツライだけだし、
何かを手に入れることは
同時にそれを失う怖さを手に入れることでもあって、
ぼくは弱いからそういうのに耐えられなかった。
だから、捨てることにした。


本当は誰かに救われたい。
誰かから優しさをもらって、そして優しさを返したい。
ほんとうのきもち・・・


2004/7/4(日)
「死にたい」
「消えてしまいたい」
「生きてる意味なんてない」

ぼくはよくそんなことを考えていた。
けど、もし「もうすぐ死ぬ」という状況になったら、
ぼくはきっと「生きたい」と願うだろう。
必死になって、「死にたくない」と懇願するだろう。
恥も何もかも捨てて、泣き喚くだろう。

当たり前のようにつづいてきたものが、
突然、嘘みたいに簡単に終わりを告げる。
それなのに世界は何も変わらない。
こんなにツライことは、きっとないだろう。

ぼくは、幸せだとわかった。
だって、こうやって生きていられるのだから。
今をこうして生きているのだから。
この瞬間を大事に思いたい。
ツライことがあったとしても、
生きているからこそできることが
まだまだたくさんあるんだ。


2004/7/13(火)
この頃、生きてるっことに漠然と幸せを感じるんですよね。
特に何かいいことがあったとか、そういうわけじゃなく、
ただ普通に通りすぎていくこの毎日がすごく嬉しい。
生きているからいろんなことができるんだもの。
周りにどう思われているかとか、
自分はダメなやつだとか、
今までそういうことしか考えてこれなかったけれど、
それよりももう一段高いレベルで見たとき、
ここでこうして自分は確かに生きているという
その事実が何よりも大事なことに思えてきたのです。
限りある時間。今を大切にして。
そしていろいろな可能性にかけてみたい。
そう思います。

・・・この前向きな気持ちはいつまで続くのかな。(笑)
いつまでも続くといいなぁ。


2005/7/29(金)
最近、「もっと生きたい」と思うのです。
これはスゴイことですよ。
だって、ほんの1,2年くらい前は、
毎日のように「死にたい死にたい」ばっかり
思ってたような奴ですから。

今でも、自分の心のなかを突き詰めていって、
逃げ道をすべて塞いで、追い込んでやったら、
たぶん同じような状態に戻ります。
決して根本的なところが解決したわけでも
何でもないですから。
でも、少しは吹っ切れてきてるのかな・・・。

まあ、そういうわけで、
最近は死なないために
毎日積極的に水分補給してます。
外は暑いからね。自販機で缶ジュースを買ったりして。(笑)

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「死にたい」は口癖。
「生きたい」は心の中にある本音。
だから、「死にたい、でも生きたい」。
矛盾してるようだけど、でもこれが自分には一番しっくりくる
表現のような気がする。

結局のところ、精神的に追い詰められて余裕のないときは、
逃げるように「死」を想像して救いを求めるけど、
精神的にいくぶん余裕ができると、
心の奥底にある、将来に対するかすかな希望のようなものを
信じてみたいという気持ちがわいてくると。

精神的に追い詰められてる時期に自分を追い詰めすぎないこと、
本気で死のうと行動してしまわないこと、
そこは最低限、なんとか守っていきたいね…。


生きることの意味を、
僕は「誰かに必要とされること」と思ってるのかな。
自分を認めてくれる誰かがいてくれないと不安になる。
誰かに依存していないと怖い。
信じていた人に捨てられるのが怖い。
一人に戻るのは怖い。
…その人に捨てられたとき、僕はまた生きる意味を見失ってしまうから。

ずっと一人で過ごしてる時期は特に何も感じなくて。
誰かに依存してしまったら、そのときは幸せなんだけど、
すぐに、失う不安だとか、
相手を傷つけてしまったかもしれないと(勝手に)後悔する気持ちだとかで
どんどん不安定になっていって。
優しい言葉をかけてもらって、
自分はまだ捨てられていないんだと確認することで、
なんとか安定を取り戻して。
でももうその関係を維持することができないところまできてしまったら、
ただただ自分を責めて罵って傷つける。壊れていく。
そしてまた、1年だとか2年だとかいう月日を一人で過ごすことで、
少しずつ人と関わる痛みを忘れていく。

…そういう繰り返しなのかな。
馬鹿みたいな繰り返し。

誰かに依存することで
生きる意味を見出そうとするのではなくて、
本当は、もっと自分のなかに生きる意味を感じ取れたらいいんだけれどね。


「生きたい」という気持ちを
本当に捨ててしまうことだけはしたくない。
間違っても「死ぬこと」が答えだとは思ってしまわないように。
あのときもらったあの言葉を、守っていきたい。
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